「学校に行きたくない」と言うお姉ちゃん、慌てる父

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「学校、行きたくない」、「学校、無くなればいい」、「児童クラブ、ヤダ~」と言います。

小学3年生の生活は、学校→児童クラブ→家のローテーション。

「行きたくない」は当然で、出かけるためには「ゆっくり、ダラダラ」が必須です。

「〇〇行きたくない」には、「そりゃ、そうだ」

お姉ちゃんは、小学1年生から「学校、行きたくない」と言います。これを聞くと、何だか慌てます。

だって、(昭和生まれの平成育ちの)私にとって、学校に行って、給食を食べて、放課後は遊んだり、部活動したりって、当たり前。だから、学校に行かないなんて聞くと、どうしたらいいんだろう。

でも、そんなに学校に行きたかったかな!?どうだったかな・・・・・・思い返すと、行きたくないことありました。

小学生のとき、いじめっこに目を付けられて、宿題をやらされた。中学生のとき、部活動の先輩に目を付けられて、独りぼっち。高校生のとき、クラスに馴染めなくて、ぜんぜん楽しくなかった。(今で言うモブ生徒!?)

小学生のとき、いじめられて、体が根をあげて熱を出して、寝込んだこともありました。親に打ち明けられたこと、友達が庇ってくれて、先生が話を聞いてくれて、いじめっ子と話をしたんだよな。何だか、思い返すほど、学校って、そんなに楽しいところじゃなかった!?

卒業して、忘れて、美化してた。

だから今、お姉ちゃんの「行きたくない」に「そうだよね~」と言えました。

それでも出かけるには、家でのんびり、ダラダラ、好きなことしていいのだ!!

お姉ちゃんは「学校に行きたくない」、私だって「仕事に行きたくない」。子どもでも、大人でも暑かったり、寒かったり、雨が降ってたり、疲れてたら、そんな気持ちになると思う。

「行きたくない」って気持ちになってもいいと思う。だって、それが正直な気持ちなんだから。

だけど、なんで私もお姉ちゃんも時間になると、靴を履いて出かけるんだろう。それは、「行かなきゃ」という義務感なのか、習慣なのか・・・

何でかは分からないけど、出かけると、エネルギーが減っていくと思う。「行きたくない」って思っても、まだ何とかエネルギーがあるから、出かけられる。

だから、家ではエネルギーを補充しないと!!学校に行ってきたお姉ちゃんは、好きなことをして、好きなもの食べて、のんびりしていいのだ。ダラダラしていいのだ。

ただ、それでもエネルギーが少なくなって、出かけられなくなったら・・・そのときは、ゆっくりエネルギーを蓄えさせてあげられるかな。話を聞いて、一緒に考えてあげられるかな。落ち着いていられるかな。心構えだけはしておこう。

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